「戦う前から勝負は決まっている」――スポーツの世界などで時折耳にする言葉ですが、実は2500年以上も前に書かれた兵法書「孫子」にも、これと通じる非常に示唆に富んだ一節があります。それが、軍形篇に記された「勝兵(しょうへい)は先ず勝ちて而(しか)る後に戦いを求め、敗兵(はいへい)は先ず戦いて而る後に勝ちを求む」という言葉です。
これは、「勝利する軍隊は、まず万全の勝利の態勢を整えてから戦いを仕掛けるが、敗北する軍隊は、まず戦いを始めてしまってから、どうすれば勝てるかと勝利の道を探し求める」という意味です。
この短い言葉の中には、プロジェクトの進め方、新規事業の立ち上げ、あるいは日々の業務の取り組み方まで、現代のビジネスシーンにおける成功と失敗を分ける、普遍的な法則が凝縮されていると言えるでしょう。本記事では、この孫子の教えを深く掘り下げ、現代のビジネス組織が「勝兵」となるためのヒントを探ります。
「勝兵」のアプローチ:勝利をデザインする
孫子の言う「勝兵」とは、単に運が良い集団や、偶然に恵まれた集団ではありません。彼らは、戦いが始まるずっと前から、勝利に至るまでのプロセスをデザインし、その実現に向けて周到な準備を重ねます。
1. 徹底的な事前分析と計画
「勝兵」は、まず現状を冷静に分析します。市場環境、競合の動向、自社の強みと弱み、利用可能なリソースなど、あらゆる情報を収集し、客観的に評価します。その上で、明確な目標を設定し、そこに至るための具体的な戦略と戦術を練り上げます。この段階で、勝利の確信が持てるまで、徹底的にシミュレーションを繰り返すことも厭いません。
2. 「勝てる態勢」の構築
分析と計画に基づき、「勝兵」は実際に「勝てる態勢」を構築していきます。必要な人材の確保と育成、資金調達、技術開発、情報網の整備、そして何よりも組織内の意思統一と士気の高揚など、勝利に必要な要素を一つひとつ着実に積み上げていきます。この段階で、潜在的なリスク要因を洗い出し、それに対する備えも怠りません。
3. 満を持して戦いを求める
そして、「勝兵」は、自らが最も有利に戦えるタイミングと場所を選び、満を持して戦いを求めます。彼らにとって戦いは、勝利を確認する作業に近いのかもしれません。既に勝利の条件が整っているため、戦いの最中に慌てたり、場当たり的な対応に追われたりすることは少ないのです。
「敗兵」のアプローチ:行き当たりばったりの戦い
一方、「敗兵」は、しばしば「勝兵」とは対照的なアプローチを取ります。
1. 不確実なままの見切り発車
「敗兵」は、十分な分析や計画なしに、「とりあえずやってみよう」「なんとかなるだろう」といった楽観的な見通しや、あるいは焦りから、不確実な要素が多いまま行動を開始してしまいがちです。目標が曖昧であったり、戦略が不明確であったりすることも少なくありません。
2. 状況に振り回される対応
戦いが始まってから問題が次々と露呈し、その対応に追われるのが「敗兵」の特徴です。リソースの不足、準備の甘さ、連携の不備などが明らかになり、場当たり的な修正を繰り返すことになります。これにより、組織は疲弊し、士気も低下していきます。
3. 勝利への希望的観測
困難な状況に陥ってもなお、「敗兵」は奇跡的な逆転や、相手のミスといった偶然の要素に勝利の望みを託そうとします。しかし、確固たる裏付けのない希望的観測は、多くの場合、さらなる損失を招くだけです。
現代ビジネスで「勝兵」となるために
この孫子の教えは、現代のビジネス組織にとっても非常に示唆に富んでいます。では、私たちはどのようにすれば「勝兵」のアプローチを実践できるのでしょうか。
- 徹底した市場調査と事業計画の策定: 新規事業やプロジェクトを開始する前に、市場のニーズ、競合の状況、自社のリソースを徹底的に調査・分析し、実現可能な事業計画を策定します。
- リスク管理の徹底: 潜在的なリスクを洗い出し、それぞれに対する具体的な対応策を事前に準備しておきます。
- KPI(重要業績評価指標)の設定と進捗管理: 明確な目標(KPI)を設定し、定期的に進捗状況を確認し、計画とのズレが生じた場合には迅速に軌道修正を行います。
- チーム内の情報共有と意思統一: プロジェクトの目的、戦略、各自の役割をチーム全体で共有し、全員が同じ方向を向いて業務に取り組める環境を作ります。
- 小さな成功体験の積み重ね: 最初から大きな成果を求めるのではなく、達成可能な小さな目標を設定し、それをクリアしていくことで、チームの自信と成功への確信を高めます。
まとめ:勝利は準備段階で決まる
孫子の「勝兵は先ず勝ちて而る後に戦いを求め、敗兵は先ず戦いて而る後に勝ちを求む」という言葉は、ビジネスにおける成功が、行動を開始する前の「準備」と「計画」の質に大きく左右されることを教えてくれます。
闇雲に戦いを挑むのではなく、まず自らが「勝てる態勢」を徹底的に作り上げ、勝利を確信した上で行動を起こす。この「勝兵」の思考とアプローチこそが、不確実性の高い現代において、組織を持続的な成功へと導く鍵となるのではないでしょうか。